こちらの記事はジュニアサッカーNEWSメディアパートナー 東京大学ア式蹴球部 様よりご寄稿いただきました。
大学サッカー部の活動、大学生のサッカーへの想い、高校時代のサッカーと勉強の両立についてなど、中学生高校生・保護者の皆さんのお役に立てばと思います。
(参照元:feelings 東京大学ア式蹴球部ブログ)
寄稿者
水本龍志(4年/FW/洛星高校)
またタラタラと長いものを書いてしまいました。よければ最後の感謝パートだけでも。
今これを書いているのは2023年の11月6日。(2024年1月15日にちょい追記。)ア式を引退してからちょうど1ヶ月近くが経とうとしている。色々経験できたけど、時間が遅く長く感じられる1ヶ月だった。
この1ヶ月の間、ア式の同期にはOBコーチとして頑張っていた人もいるし、社会人チームに合流するために選手として頑張り続けている人も、そうでなくともやはりサッカーが恋しいと現役の練習に参加している人もいた。
そんな同期たちを横目に、自分はというと、サッカーが恋しいな、サッカーがしたいな、練習に行こうかな、そんな感情は今の所湧いてきていない。サッカーを見るのは相変わらず好きで、たくさんJリーグを見にいったりはしているが、自分がプレーするとなると、もうお腹いっぱいという感情があるようにさえ感じる。
こんな中でふと考えさせられる。自分にとってサッカーとはなんだったんだろうか、と。
自分にとってサッカーとはなんだったんだろうか。間違いなく「好き」という感情が真っ先に向く対象だった。
「なんで大学生にもなって部活なの?サークルじゃダメなの?」
4年間で何度も問われたこの質問。サッカーがうまくいかず苦しい時期には、自分自身も何度も自分に問いかけた。そうやってモチベーションを得て自分を奮い立たせようとした。
それだけサッカーが好きだから、大学サッカーは好きなサッカーに全力で打ち込める最後の舞台だから。そのように答えながら今度は、その「好き」って感情はなんなんだろう、なんで「好き」なんだろうとよく考えていた。
ゴールを決めた時の興奮ったらたまらないから。自分に成功の感覚を味わわせてくれるから。大学に入って全然うまくプレーできず苦しんだ自分にとって、ミスって、怒られて、点が取れなくて、試合に負け続ける時期もあって、で本当にたくさんの負の感情を感じさせられたけど、そんな中でも数少なくともうまくプレーできた瞬間、ゴールという結果を残せた瞬間の興奮はやはり別格。うまくいったシーンや自分のゴールの動画を、練習や試合の後に毎度何回見返したことか。
他にも「好き」の理由はいくらでもあげられそうな気がする。でもどの理由をあげても、完全に自分を納得させられないというか、なにかモヤモヤが残る気もする。どの理由を取っても、大学生になってまで、週6で、しかも大学サッカーの4年間はうまくいかず苦しい思いをする時期ばかりだったのに、それでもずっと続けるほどサッカーが「好き」な理由としては不十分なように感じるのだ。そして理由が不明瞭だと、なんだか「好き」という感情そのものにも自信がなくなってくる。
小学生の時にたまたま友人に誘われてサッカーを始めた。それを機に他の何よりもサッカーに時間を費やしてきた。でももしあの時友達に誘われたのが野球だったら多分僕はずっと野球をしていたような気がする。他のスポーツも然り。実際サッカーを見るのは大好きだけど、今は同じくらいとはいかないまでも他のスポーツを見るのも好きだ。たまたま自分はサッカーを始めて、そのサッカーは確かに自分を楽しませてくれたから長いこと続いて。その楽しませてくれるといのは、サッカー自体の楽しみもそうだけど、友達はサッカー繋がりで作ることが多かったり、そういった周辺的な楽しみも大きかっただろう。そうして長いこと続けてきたことで、自分の価値観は多分サッカーをベースに形成されてきただろうし、何より「サッカーをする」という選択肢は自分にとって想定できる選択肢の中で、おそらく最も自分が飽きずにのめり込めるだろう、サッカーを選ばなければ楽しめる保証があるかはわからないけどサッカーを選んでおけばとりあえずハズレはないだろう、そう思わされる選択肢だったように感じる。つまりサッカーは偶然の出会いに始まり、そして飽きずにのめりこんでいる将来が見込める唯一の選択肢だった。サッカーを選ばなければ、選択肢はたくさん広がるけど、果たして自分は飽きずにそんな日々を楽しめるだろうか。想像しようにも、今までサッカー以外に手を出したことなんてほとんどないから読めない。じゃあとりあえず選択肢にあるならサッカーを選んでおこう。正直今はサッカーがうまくいってなくて苦しい、自己肯定感を上げるどころか下げることの方が多い現状。やめたほうが楽かもしれない。でもやめたってどうなるか見当もつかないから、とりあえず馴染み親しんだサッカーをしよう。今は苦しいけどいつか、一時的にでもプラスな感情を味わえるかもしれない。自分がサッカーを続けた理由はこんなところだったのでは、とも感じてきてしまう。こう考えた時、サッカーを続けているのは消去法的な決断であって、サッカーが「好き」という感情はその本質的な理由ではない、そもそも自分はサッカーがそこまで好きじゃないのかもしれない。昔は大好きだったかもしれないけど、少なくとも今はもうそんなに好きじゃないのかもしれない。そんな気までしてくる。
でもこう至りついた時、この感覚にも何か物足りなさを感じる。本当にそれだけなのか。偶然の結果たまたまサッカーをやり続け、他の選択肢を選ぶリスクを考えて消去法的にサッカーに執着していただけなのか。自分のサッカー愛は何かもっとアツいもののはずだ。少なくともそう信じたい。
こんなふうに考えていたら、苦しい時期に自分を奮い立たせようと「なぜ今サッカーをしているのか、なぜサッカーがそんなに好きなのか」という原点を自問したところで全然モチベーションにつながらなかった。
分からない。
それでいいんじゃないだろうか。
これが僕がたどり着いた答えだ。
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最後に
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